部屋
クラジルのちょっとしたこばなし。
私の世界の始まりは物心つく前にわたしにだけ与えられたお部屋で。
お父さんはマザークリスタル・ドレイクアイが砕けた後に広がっていった黒の一帯と当時のシヴァのドミナントが姿を消してしまい。そしてロザリアとの和平に応じるかでいっぱいいっぱいだったはずだ。
それでも、窓の外からまだ見えていた美しい森と丘をお屋敷から見せてくれた。
ここが私へと贈られる世界なのだと外のことは何も知らなかったあの時。
朝起きて、日が差すとぱあっと目に映るその世界が。
日が暮れて。月と共にメティアが姿を見せて。その月明りの下で暗くなった大地をどこかおぼろげに感じながら。
わたしの部屋からわたしだけの大地を愛おしく窓越しに眺めていた。
ロザリス城に来てから割り当てられた部屋は石壁もひんやりしていて。周りにいる女性たちもどう接してあげれば良いのか戸惑っていたと思う。わたしがずっと俯いたままだったから。
人質だ、と遠く耳に入ってきた。
ここはわたしの国でもない、あの愛おしい大地はもう二度と眺められない。
どこにも居場所がないんだとー…。
黒髪の少年が声を掛けて。ようやく白銀の髪をした3つ年下の少女はひと言。返事をしてくれた。
落ち着いたらにいさんとぼくと不死鳥の庭園を見に行こうよと、兄より5つ下の金髪の少年が一見するとおとなしそうに見えてはっきりと誘ってくれた。
ぎこちなく頷いた少女はそのままさっと部屋へと戻ってしまった。
「…にいさん」
「…ああ」
「…ぼくがジルの立場だったらー…にいさんと離れ離れになってるのと同じだもの。そんなの嫌だよ」
わかるとは言えないけど。ジルはさびしいんだね。
弟が生まれてー厳密に言えばフェニックスを宿したと明らかになってからは離れへと移された。母が向けてくれていた愛情だと思っていたものは幻でしかなかった。
“どうしてにいさんと一緒じゃないの?”
離れに戻ろうとすると今よりもっと幼いジョシュアは俺の服の裾を掴んで。引き戻そうとしている。
週末稽古を終えた後にでもふたりで不死鳥の庭園を回ろうと約束をした。
ロズフィールドの姓を受け継ぎながらここには居場所がない、そう考えていた俺が部屋に閉じこもらずにいられた核(りゆう)はここにある。
ジルはー…。
実弟の右肩に優しく手を置いた兄は頷いた後、真剣に少女の部屋を見つめた。
「ジョシュア」
「うん」
「ジルには…元気になって欲しいな」
「うん!」
抜け出すなら、今しかない。
ジョシュアも一緒に連れていけず申し訳なくもあったが。
カンカンにマードック将軍から怒られたのと引き換えに。
割り当てられた彼女に冷たく寂しいままの部屋から手を取りしっかりと繋いであの丘ーマヌエの丘へとふたりで向かった。
どうして、と輝く青い瞳が尋ねてくれて。
ただ、君に喜んでもらいたかった、元気になって欲しかった。
そう微笑んで伝えると。
ジルは雪月花をひとつひとつ丁寧に紡いで花冠を作って見せてくれた。
北部のね…わたしの部屋からもこの花は見えなかった、はじめてよ。
こんなに嬉しいことはないわ。
わたしは今日この日を忘れない。
ここがはじまりねと君は微笑んでくれた。
そっと抜け出すのはきっともうしばらく出来ないだろう。
マードック将軍にこってり絞られて疲れていた俺へジョシュアがざんねん、と頬を膨らませていた。
…8つともなると川岸まで遊びに行って、飛び出した勢いのまま川に落ちたお前を大慌てで助けに飛び込んだ俺の身にもなってくれ。お前もあの丘にいたら崖から落ちたりしないか気が気でいられなかっただろう。
それから君は離れにある俺の部屋に訪ねてくれるようになった。
俺が稽古で抜けている間にはそっとクライヴお疲れさまと令嬢らしい美しい筆の走らせ方をした手紙も残してくれて。
君が12ともなると、訪ねてくれるその気配に心がざらつくような感情が芽生えていたように思う。
そこから引き離された13年間ー囚われただ命令を過ごすだけの日々の粗悪な場所。
人の命へ無残にも手を掛け続ける年月を跨いでいった。
投入される戦場は薄暗くかび臭い水路もあれば、荒れ果ててまともな足の踏み場もない大地。
連れ戻される部屋は次の命令が下されるまでは誰かに必要とされることもない、真暗な牢獄ーいや、牢獄の方がまともだったであろうー一歩でもまた外へ駆り出されるなら狂気と虐げと人ですらない扱いをされる兵器とモノとしての歩むしかなかった。
生きている、とは言えない。ただそう扱われているだけ。
心そのものを失いかけた時に、再び出会った。
(そう仕組まれた)
あなたの部屋で皆から贈られた贈り物をひとつひとつ丁寧に触れていく。感謝の思いと共に。
君を含め皆が綴ってくれた手紙をそっと眺め、そうして描いてきた軌跡を振り返る。支えてくれた皆と人々の想いを。
「あなたの部屋へ訪ねる時にね」
ジルが彼女自身が彼へと贈った花冠をまた愛おしく眺めた後に立ち上がり彼に語り掛ける。
「…どうした?」
「皆がああクライヴの所へ行くのねって…そうまなざしを感じるの」
優しく微笑んで彼を見つめた。
「……」
少し戸惑いながらもクライヴもまた優しくジルを見つめた。
「皆で生きていこうって…シドの隠れ家が跡形もなく無くなって…誰もが折れそうになっていたその時にあなたが声を掛けてくれて。だから、新たなはじまりはここなのだと…あなたの部屋を見つめながら皆そう思ってくれている」
「…皆が生きようとしてくれたからだ。何より、君とジョシュア。そしてトルガルとまた出会えた。シドとも」
(器として吸収させようとした思惑通りだったとしてもー)
ジルと共に雪月花の花冠を彼のその青い瞳に収める。
そうして傍へ寄ってそっと愛おしく彼女を抱きしめた。
「俺のこの部屋で君がいてくれる。また出会えてずっと支えてくれて。本当に嬉しいよ。ありがとう、ジル」
「…うん」
ジルも愛おしく彼の背中に手を回しきゅっとお互いの温かさを確かめる。
幼いときに約束された大地を見ていたあの部屋。
本がたくさんあったロザリスでのあなたの部屋。離れだったから兄さんの所へ気軽には行けない。ジルお願いしても良い?とジョシュアが頼んでくれた。
真っ暗な命令されるだけに宛がわれた部屋。
目が覚めてから、ベアラーの子供たちと語り合った蠟燭の灯りを頼りにしていた小さな部屋。
インビンシブルで宛がわれた簡素ではありながら、オルタンスから分けてもらった布であなたへの想いを込めて糸を通していた今の私の部屋。
(私の部屋はたくさんでなくて良い。大切なあなたと居られるここが良いの)
(君と共に選んでこれた。だからこそ、愛おしいんだ)