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準備が出来たら出発だ。あーそうだ、何が起きても誰と会ったとしても。どこに邪魔したとしても驚くなよ。
まるで子どものように扱うシドルファスの態度に―それは今までふたりがこの世界や現実に対しても何も知らなかった、思い知らされたのだと率直に認めたからこそだが―全く…と軽くため息を吐くクライヴと言葉には出さないものの少しだけあきれた表情のジルだったがさっそく動き出そうとすると。
「おう、ちょっと出発前に腹ごしらえしとけ」
今度は返答を待つことなくぽいっとりんごをふたつ、それぞれに投げてきた。
クライヴは片手で、ジルは両手で空中に舞ったりんごをさっと受け取る。
苦労してここで生ったんだ、ちゃんと味わっていけ。シドのありがたいお言葉付きで。
出会った時もこんなんだったな…シドとのついこの間のやり取りがもう懐かしいとさえ感じるクライヴに対し、ジルはその果実を両手で包み込んだままじっと見つめている。
「ここの一員になったんだ。大仕事を成功させてこれからもきっちり働いてもらうぞ」
それで、ここで作られたものを存分に食えばいい。ここに帰ってくるわけだし、もう一員だしな。
ユーモアとウィンクを重ねたその物言いは温かみのあるもので。ふたりが隠れ家に来てから少しずつ。取り戻してきた感覚のひとつ-微かな笑みを浮かべて特に頷くことはなくともシドに応えた。トルガルの方を向くときょとんとした瞳と目が合った。
トルガルが喜ぶおやつを仕入れてくれていたカローンに礼を伝えてからすぐに出るからな、と少しの間自由に遊ばせてやることにした。
ケネスが隠れ家の皆に振舞っている厨房からすぐの階段を上って、語り部であるハルポクラテスが奥に構える2階席の空いているところにジルに先に腰掛けるようにすすめる。
これはまだ甘さが足りないから砂糖をまぶして焼いてやるよ、とケネスの好意に甘えることにした。
待っている間に何が飲みたいか?と付け加えてきたので水で構わないと答えると。
「まあ酔いたい気分ではないだろうからエールはなしだろうけどさ。お前はともかくお嬢さんはミルクの方が良いだろう?
今まで望まないまま氷の魔法を使わされてきたんだ、あったかいもの出すぜ」
クライヴも温かいものをここに来るまで久しく口にしていなかったとシチューを運ぶ手伝いをしていた時にぽつりと発したことをケネスは覚えていた。背後に自分への気遣いも含まれているのだと感じながら温かいカップをふたつ受け取りジルの元へと足を進める。
先ほどのリンゴと同じく丁寧にカップを受け取る彼女にそうしたきちんとした所は本当に昔から変わらないな…と懐かしさを覚える。それはここに来たばかりの時に感じた感覚そのものでもある。ジルが厨房とカウンターそして1階の食堂席にて語り合うベアラー含めて“人”たちの様子を眺める。
その彼女を眺めてから彼も視線を下の席へと向けた。自由に明るく活き活きと語り合う人たちの姿がここにある。
「ここは、いいところだな…」
熱すぎないミルクはほどよく体の緊張をほぐし、今日の働きを喜び合う食堂内の雰囲気がさらにそれを後押ししてくれる。
「…ええ。さっきおじいさんと話をしたのだけど。最初のころは寂しかったって」
ロザリアもひとりの男が動き、それに惹きつけられるように人々が集ってきたのがはじまりだ。
「黒の一帯で果物が実るなんて…マザークリスタルを含めて殆どの人は信じられないでしょうね。私もロザリスにいた時は考えもしなかった」
「けれど、俺たちは実際に見ている。現実も…見て来た」
マーテルは実験が上手くいったら美味しい果実をごちそうするとクライヴに語ってもくれた。
「そうね…それととても懐かしい。さっきりんごを受け取ったときも…そう。何だか懐かしかった」
ジルが静かに目を伏せて考え事をしている。クライヴは静かにジルの続く言葉を待つ。
彼女が彼女なりに紡ぎたい想いそのものを。それはこれまでふたりが長い時間出来なかったこと。命令に命令、自らの意思や発言-自我など不要。
残ったものはそれしかないのだと他のことを考えることさえ放棄させられてきた日々。それが“当たり前”なのだ。受け入れろというルールだけは心の中でずっと抵抗し続けて。
「たくさんのこと…思い出せたからかも、しれない。城下街で色とりどりの果物を眺めていたから」
「そうだな。ジョシュアもニンジン以外は目を輝かせて楽しんで眺めていたよ」
同時に彼の脳裏に浮かんだのはロザリス城の正門からではなく裏から回ろうと足を速めていたとき段から落ち足元へと転がり込んできた赤いりんご。りんごを運んでいたベアラーの彼との僅かなやりとり。あの時は国に仕えてくれている彼らへ感謝の言葉を述べた。国は“人”があってこそ。その背後にある現実など何も知らなかった。知ろうとしなかった。
ジョシュアを守る。それが自分の使命であり全てであったから。
今は…今は-?
「私はどこかで…ロザリスで…そこにあるものが当たり前に思っていたとここに来てから改めて気づいたの。でも懐かしいと思い出せたのも嬉しかった」
「それでいいんだ、ジル。…過去は変えられない。俺もジョシュアへの誓いを忘れたりはしない。シドに伝えたことも」
「おふたりさん、お待たせ!熱々の内にどうぞ!」
タイミングが良いのか悪いのか。ケネスが湯気と甘い香りが立つ焼きりんごをドカドカとテーブルの上に置いてくれた。
会話の流れが真剣なものとなっていたふたりは少々反応が遅れたものの。
「ケネス、ありがとうな」
「ありがとう、ケネス。とても美味しそう…美味しいのよね。さっそく頂きます」
きちんとお礼を返す。
「どういたしまして。まあこれが俺の仕事だから。シドにこき使われる方がずっとずっと大変だからな。だからこそみんな、ふたりのことをアテにしているんだ。しっかり食べて頑張ってくれよ。で、皆にロザリアを含めて思い出話もたくさんしてくれ!」
厨房で料理を振舞う熱意そのままにケネスはまた自分の仕事場へと戻っていく。
「…色々と見破られているみたいだな」
「そうね。ねえ、クライヴ。ああ言ってもらえたのだから…」

時々でいいから…昔話をしてもいいかしら。
-良いに決まっているさ。昔も今この時を含めての俺たちだから。

後に彼の部屋に贈り物として置かれたマーテルの果実は拠点での昔話に花を咲かせ。彼らの軌跡の証ともなった。

それからしばらくのこと-。

…-少し休むか。
兄のそのひと言に弟は素直に頷き、彼女も携えていた剣を静かに収めた。
旅をしていたのは同じだから慣れたんだとジョシュアは少し口角を上げて自らの掌から炎をともし焚火を起こした。トルガルもあたたまってね、と優しく背中を撫でトルガルを火の傍に招く。ジルがポーチから砂糖に漬けられ保存食ともなるリンゴの菓子を取り出して先にジョシュアに渡して。綺麗な湧き水をなめし革でつくられた水筒に入れて戻ってきたクライヴにも差し出した。感謝の言葉と共に彼は受け取る。
アルケーの空、とエッダが教えてくれた空模様は朝と夜の境界が曖昧な感覚に陥るようにずっと暗いままだ。この空の下で灯る炎の周りは暖かさを感じる。
再会して共に行動するようになって幾らか経ったが兄も弟も外ではほとんど無駄話をしない。
残された時は少なく、この兄弟はお互いに行うべきことへは真直ぐだからだ。
昔からそうだったとジルは静かに甘い菓子を口に含む兄弟の仕草が似ていたことからも愛おしさを感じる。
「こうして外で食べるのって今でも不思議な感じがするんだ」
「旅には慣れたと今言ってなかったか」
「うん。ただ、教団に匿ってもらっている間は団員であることを伏せていた彼らに招かれて食事を取っていたからね。
ヨ―テが口にするものを含めて細々と気を遣ってくれていた」
ジョシュアの事実を語る淡々とした口調にクライヴが静かに目を伏せる。
「そうか。今は俺の都合で引っ張り出してしまっているからな…」
「謝ろうとしないで兄さん。むしろ嬉しいんだ。ロザリスに居る時だって兄さんが外でみんなと食事が出来ても僕は母様が睨みを利かせている間は駄目だったんだから。
そうやって何でも自分の責任にしようとするのは兄さんの悪い癖だ。ね、トルガル」
伏せの姿勢で温まっている狼に優しく背中を撫でて同意を求める。
トルガルは顔をジョシュアに向けて来た。兄の相棒も弟のその意見には賛成らしい。
ふたりのそのやりとりにくすくすジルが笑う。懐かしさがこみ上げてきたのだ。
クライヴとジョシュアが今度はジルの方へ視線を向けた。
「城下街に買い物に出た時にね。色とりどりの沢山のもの眺めてもクライヴはジョシュアにはこれが良いあれが良いって…何だか思い出しちゃった。りんごひとつとっても自分の決めるのは早かったのに、ジョシュアへのお土産は時間を掛けていたわ。ニンジンだけがまだ駄目で…とか、本当にあなたのことばかりだったのよ」
バイロン叔父さんにも似たようなことを言われたな、と気恥ずかしいのか頭を下げたクライヴに。
「…」
考え事の時、兄と同じ仕草をする弟は少しの沈黙の後。ジルとトルガルに手招きしてクライヴの傍へと距離を詰める。
「ジルはそっちから兄さんと腕を絡めて。トルガルは背中に乗っかって」
「おい、ジョシュア…?」
返ってくる言葉はなく弟は兄の右腕に絡みつき。ジルは左腕に。トルガルが背中にどすんと乗っかってきた。
「お、おい」
「さっきアカシアとの激しい戦いで最も切り込んでいたのは兄さんだからね。汗も相当かいたのなら身体が冷えるのも早い。ちゃんとあったまってもらってから出発するよ」
「俺は別に…」
「ケアルガを使ってもいいけど?」
「止めろ。お前の身体に負担がかかるだけだ」
「じゃあ大人しくしていて」
弟の気迫に-それは実のところ離れている間に出来なかった兄への気遣いそのものである訳だが-押されクライヴは言われた通りにそれ以上は何も言わなかった。
ジルが傍らで愛おしそうに寄り沿い、ジョシュアもすぐ側でぱち、とはぜる火の粉を眺める。
背中に乗っかっていたトルガルはもうふたり分の暖で十分なのだと判断したのかそっと離れるとすぐそばで横たわった。
大人になったらトルガルを連れて3人で旅をしたい。
ロザリアでの思い出話に花を咲かせながら。
ジルがロザリスに来て間もなかった頃と空の文明の時代の遺跡に行く度にそう考えていた。
外大陸はどのような所なのだろう、と。
離れ離れの時にはもう叶うことはない願いだとも思っていた。そう。考えること思うのを。クライヴもジョシュアもジルも、捨ててはいなかったのだ。
現実を知った今となってはその願いは描いていたもの願っていたものとは異なってはいても。3人でまた居られるこの時が何よりも愛おしくて。
「ジョシュアもジルも…ふたりとも…俺をすぐ甘やかそうとするから、困るな…」
ふたりには聞こえない程度に、それでもぽつりと彼は正直に吐露した。
(守ることが出来なくなっても…あなたを支えると決めたの)
(兄さんは僕の兄さんなのだから。それを証明する為にも戦い抜く。人である為に)

ジョシュアとジルにとって大切でかけがえのない人なのだと彼自身にもっと知ってもらうために。
言の葉には紡がない心にも灯る想いと炎をクライヴへとふたりは寄り添いながら注ぎ出していった。


※🍎をモチーフに別視点の小話もこちらへ。

クライヴ→ジルからのジル→クライヴ


りんごひとつ

コルマックから頼まれたマーテルの果実をかつての隠れ家にいたメンバーを中心に渡し終えて。
芳醇な香りに石の剣のひとりであるコランタンが前のは酸っぱかったよなとシドくらいだぜあれを喜んで口に含めていたのはと思い出話を語ってくれた。
シドと出会って間もなく。まだ熟してはいないりんごひとつとって俺に差し出したあの日…隠れ家にジルと共に保護されたばかりのあの頃を思い出す。
暮らしている彼らの暮らしを見ると“人”なのだと頭の片隅だろうか。
それとも暗殺部隊のひとりとして抹殺対象であったシヴァのドミナントがジルだと気づいたあの瞬間-殺せとティアマトが放った命令に嫌だと心と身体が同時に動いた。
その心のどこかに一滴ぽつりと。染み込ませるような感覚はあったように思う。頭を鈍く振り断りを入れると“苦労してせっかくここで生ったんだぜ”とシドが教えてくれた。お前のあの言葉の意味と重さを今なら受け入れられる。
直後にロストウィングへ火のドミナントを探しに付いていった俺はお前に伝えた通り復讐のことで頭が一杯だった。
黒の一帯で“人”が住んでいる意味。マーテルとボフミルの研究を通して果実を生らせた意味。
イフリートであると己自ら受け入れた後にザンブレクの小麦畑をしっかりと眺めた。ベアラーたちが奴隷として酷使され。ひとりの少女が石化して亡くなり―主だった少女へ“人の死”とは何か必死で伝えた。
痛めつけられ彼らには命令だけで自由がないその様子を目の当たりにして。皇都オリフレムがムーアから見えた。嫌いだという感情はとうに失せていた。その地で、シドを失った。そして帰れる場所も同時に。立て直して今のインビンシブルと皆-仲間たちがいる。
それまで目に入ってはいたのに認識して来なかった全てを。
前に進むと決めた以上にシドから受け継いだものの重さから逃げ出したくなっても目を逸らさず歩みを止めない。

コルマックは約束通り私室へとマーテルの果実を運び込んでくれていた。
ジルがちょうど部屋に来てくれていて。りんごひとつ果物ナイフで丁寧に皮を剥いてくれている。
「次はケネスとボフミルの木から実を生らせたいと教えてくれたわ」
「よくコルマックは語り掛けてくれている。花へと植物園の皆も」
りんごひとつとってもジルの手さばきは器用だ。10にもなると器用な君はあらゆる小物を作り出して。侍女たちだけでなくロザリスに住まう子供たちやその家族が贈り物へとても感謝していた。
俺も今でも。
彼女の手際の良さを見つめていると腰かけて皮を剥いていた君はこちらへ視線を向けた。
「どうしたの」
「君は昔から作り出すのが上手だなと思っていた」
楽しそうにそして喜んで。贈り物ひとつひとつ心を込めて皆へと渡してくれていた。
本来ジルの手は生み出す為のものだとここでもそう思っている。
剣を取ることでしか歩めなかった自分とは違う。
ドミナントとして覚醒しなければ、命のやり取りと命を奪うだけの戦場へと向かうはずなどなかった。
「…そうね。好きだったわ」
「今も変わらない。ここの皆の為に針子や髪飾り…沢山のものを作り出してくれている。とても感謝している」
「ありがとう、クライヴ」
優しく微笑んでくれて。用意されていた器にリンゴひとつ8等分。花のような切れ目を入れて。放射上に等間隔で並べてくれた。植物園で咲き誇る花たちに負けないくらい整っている。
「綺麗だな」
「気に入ってもらえて嬉しいわ」
「食べるのがもったいないくらいだ」
「ボフミルとマーテルと、ケネス…その想いを継いだコルマック。それに植物園の皆の想いが詰まっているのよ。それを考えていたらこうなったの」
だから。
「なら、合わせて感謝して頂くとしよう」
「ええ。頂きましょう」

シャリっとコランタンが語ってくれたように甘みが口に広がる。
温かい料理を口にしたのもケネスの食堂だった。
ジルも同じだとそっと告げてくれた。
再会出来てからこうして当たり前だと見失いがちな日常の出来事を可能な限りふたりで過ごすようにしている。
多くを失ってしまったからだけでない。共に居られるこの時が何より大切なのだ。
皆に告げたように立て直して生きていくこの姿から志半ば亡くなった彼らへ詫びることが出来るようにと。

しっかりと美味しくいただいてから。籠からまたりんごひとつ取った。
ロザリスにてりんごを落としたベアラーの彼の為に拾い上げたあの日も思い出す。すぐ後ろで少女だった君が仔狼のトルガルを大事に抱き上げてふたりが優しく見守ってくれていて。今のロザリアでは失われつつあるその人から目を逸らさず見つめて探し出そうとしていたあの日々。
(私、クライヴなら見つけられるもの)
君がどこに隠れていても俺を見つけてくれたあの日々。
今はそれを言葉にするのが相応しい時でない。まだマザークリスタル破壊へとようやく活動を再開したばかりなのだ。
そしてジル。君は明らかに俺に告げていない何かがある。
ふとした瞬間に視線を外したり、今みたいに反応が遅れてきたり。そうした様子から気づいたのだ。
君が俺に話してくれるその時まで辛抱強く待つ。そして支えよう。
君の決意と戦いと―君そのものを。
りんごひとつ、ジルへと渡す。君は丁寧に両手で受け取り再び小さくとも優しく微笑んでくれた。
君を助けだしたあの時が俺のそうした日々を送っていた―人へと戻れた瞬間。
このりんごひとつとっても思い出の品だけでない。
俺と君と皆の“人”としての証なのだ。


自室へ戻ったジルがクライヴから受け取ったりんごひとつにそっと口づけを落とした。
“あなたは私にとって大切な人”

それを伝えるのは、まだ出来ない。
あの国での過去の因縁を私自ら断たなければならないのだから。